●雑談
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彼が、MLB史に燦然と輝く打者であることは間違いないだろうと思う。90年代最強選手であり、00年代、世界最強の打者であるバリー・ボンズは、誰が何と言おうと、史上最高の選手の1人である。特に、00年代の実績は折り紙付きで「史上最強打者」と言わしめたほど。史上最高の出塁率6割を達成した男であり、その実績は輝かしいものを誇っている。
特に、04年の成績は圧倒的。04年、ボンズは、日本でのみ「イチローとボンズのバッティングは互角」的な報道をされたが、それが誤っているのは明らかである。チーム得点数が出塁率と長打率がズバ抜けて最も密接な関係を持つ事は知られているが、リーグ1位の出塁率.357を誇るジャイアンツだが、ボンズがいなければ.330にしかならない。マリナーズは、イチローがいなければ.331から.320に下がる。長打率は、ジャイアンツが.435から.411、シアトルは.396から.388に下がる。これを見れば、打席での働きがいかに差があるかが分かる。
ジャイアンツの場合、ボンズがいなければ、シンシナティ・レッズの下、リーグ10位と、2位だった得点数が下位に下がる事が予想されるわけで、このチームのボンズ依存度が分かろうというものだ。
「ベーブ・ルースとバリー・ボンズ、どっちがより凄い打者か?」と言う議論は強い。勿論、スポーツは時代が進むにつれて進化していくものだから、現状の実力では勝負にならない事は当たり前で、当時の実力を比べるのは無理がある。突出度ではルースのほうが上だが、大抵のスポーツは創成期のほうが突出度が高くなるのも当たり前のことで、これで評価していいかは疑問がある。つまり、現在のボンズの実力への評価と、過去のルースの実力への想像論と言う、比較しようがないものを比較しようとしている訳で、永遠に答えは出そうにない。
一応、純粋に成績を比べると、ルースの全盛期の21年と、ボンズの全盛期の04年であれば、長打率ではルース、出塁率とOPSではボンズで、一応、同じ時代であればボンズの方が評価できる。しかし、ボンズのほうが敬遠が多かった可能性が高い(ルースの時代は敬遠が記録として残っていない)。黒人選手がいないリーグだった事や、当時のほうが打率が出やすい環境だった事も指摘され、本塁打と差し引きの計算が難しい。
だが、長打力、出塁に関しては互角としても、ボンズの方がコンパクトなスウィングをしており、より完全な打者であるボンズのほうがより三振が少なく、攻略法が少なかった事は想像できる。少なくとも、01年から04年までのボンズであれば、ベーブ・ルースより、よりいい打者だったと思う。
バリー・ボンズは、性格的には問題児と言われるが、フィールド上では最も洗練された打者の1人だ。ボール球を打つ事はめったになく、スウィングスピードも恐ろしく速い。そのうえ、誰よりも良く耐える。孤立無援の状況で200回近くも歩かされる事を肯じられる打者はそうはいない。実際、彼は強打者であるが好打者だ。彼のスウィングは目線がブレず、コンパクトさも備え、非常に粘り強い打者でもある。
バリー・ボンズが、かつて優れたオールラウンダーだった事も公然の事実だ。彼は、チームのせいもあるだろうが、ベーブ・ルースやハンク・アーロンよりもウィリー・メイズを尊敬している気配があるし、父ボビーもオールラウンダーだった。実際、彼は、かつては「40−40」を達成しているし、93年や96年のボンズであっても、史上トップ5に入る外野手である、と言う意見が根強い。
ボンズのステロイドについての話にあえて触れておくと、このステロイド事件で、やや評価を落とした感はあり、その実績が「クスリのせい」と言う声があるのも事実だろうが、彼が、クスリなどやっていなくとも、史上最高の選手の1人であることは間違いない。その使用の有無に関わらず、彼は恐らく「500−500」を達成していただろう。MLBには、彼以外には「400−400」も存在しないのである。「300−300」ですら、ウィリー・メイズ、アンドレ・ドーソン、ボビー・ボンズ、スティーブ・フィンリー(予定)くらいである。そんな中、バリーの500−500と言う実績は、まさに圧倒的である。
彼の実績は、最近「ステロイド以前」「以後」で分けられる事も多いが、時期については、99年説が有力、99年シーズン中に、骨折と、DLに入っているべき状態で9月をプレーしなければ、50本は間違いなく超えていた、と言われる事と、前年「400−400」を達成したが、マグワイアとソーサに話が集中し、正当な評価を受けなかった事、体型の変化がその論拠となっている。
実際にも、99年説が最も妥当かもしれない。どこで区切るかは難しいが、たとえ、どこで区切ったとしても、彼が偉大な選手であることは変わりない。人々に、史上最高のオールラウンダーの1人、と記憶されるか、世界最強の打者、と記憶されるかの違いくらいだろうと思う。言うまでもない事だが、99年に成績が落ちたから、ステロイドを使っていなかったら既に成績を大きく落として引退していた、と言う意見は、99年の彼の終盤の失速の原因を無視しすぎた意見でもある。
彼はそれまでに全く衰えていなかったし、ステロイドと関係ないスウィングスピード、選球眼などのツールを生かし、04年までに少しずつ落ち込んでいっても、トータルで見れば、最悪でも毎年30本前後の本塁打を積み重ね続けた可能性が最も高いと思う。
また、ステロイドが誰が使っているかなど、誰も特定できはしない。ステロイド疑惑を逃れた選手は相当数に登ることは間違いなく、リーグとしてしっかりとした対処がなされていなかった時代との割り振りは難しい。どんなスポーツ選手でも、何処までがサプリメントで、何処までが禁止なのかの割り振りは常にグレーゾーンであり、現行犯で掴まらなかった以上、一応は何も言えない、と言う意見も一応の蓋然性を有している事は事実だろう。
また、それ以前の実績で考えても、センチュリー・ベストナインに選ばれたケン・グリフィーと比較しても何ら劣ることはない。肩と長打力では負けていたが、アベレージ、スピード、そして選球眼ではバリーの圧勝だ。彼自身も決して強肩ではないが、送球は正確でモーションも速く、ゴールドグラブ8度と言う実績から「5ツール・プレイヤー」(ハイアベレージ、パワー、送球、走力、守備力)の好例として知られる選手でもある。5ツールと言えば、ウィリー・メイズ、次いでケン・グリフィーJr.だが、その次に挙げられるのがボンズである。
90年代最高の選手はバリーかグリフィー、と言うのが一般的だが、実際は、バリーが僅かに勝っていたのでは、と言う意見の方が多い。安定感、OPS、スピードではバリーが圧倒しており、肩とパワーで劣ったものの、全体的には彼の方が上だ、と言う声は確かに目立つのである。
90年代、ボンズはMVPを3度獲得し、この時点で既にメジャータイ記録となった。91年も、ボンズが選ばれていたほうが良かったと言われるし、彼は、敬遠が90年代を通じて非常に多かったために、打点のカテゴリで高い成績を残す事が少なかったため、非常に損をしている。だが、グリフィーは、MVPはたった1度だけである。
エリート気質があり、やや難がある。「本塁打でベーブ・ルースを抜けば彼の成績を全て上回る。彼の偉業を消す事が出来る。」と言う発言や「プホルズは良い打者だけど、足と守備がひどすぎるね」と言った趣旨の発言をしている。基本的に自分が中心でなければ気が済まない性格だ。この点でも彼は評価のうえで損をしている。
02年までジャイアンツにいた二塁手ジェフ・ケントとのコンビは「犬猿の仲だが最強コンビ」と言われていた。掴み合いの喧嘩を演じたことも有名であり、それだけ、彼らが不仲だったことの裏返しであるが、両者が、実力を常に安定して発揮したことへの裏返しでもある。
性格には難のある選手だが、特に白人を敵視しているような発言が見られる事もある。クラブハウスでは一人の世界を作り出している選手ではある。それでも、試合に出る姿勢だけは否定された事がない。一応のところ、彼は、何度も、本来DLに入っているべき状態であっても、試合に根性で出続けた事も一応は理解されるべきだろう。チャリティー活動などにも熱心な選手と言う一面もある。
オールスターでトリ・ハンターがホームランをキャッチした事が知られているが、ハンターにも「あれはボンズにとって打ち損じのレベルだよ」と言わしめている。松井にとっての外野フライがスタンドに届くくらいのパワーはある。パシフィックベル・パークの「海に飛び込む本塁打」(パシフィックベル・パークはライト側が海に近い)はもはや名物と化している。
あと1〜2年、このレベルでやればハンク・アーロンの持つメジャー記録755本も視界に入ってくるだろう。年齢的には辛いかもしれないが、怪我さえなければあと3〜4年は一線級でやれる実力を秘めた選手である。是非、まだまだ頑張って欲しい選手の1人である。
02年は、ディビジョンシリーズなどで初めて大活躍を見せ、ワールドシリーズでも大車輪の活躍。「大舞台に弱い」と言う風評を見事振り払って見せ、まだまだ進化を遂げている。04年は、なんと史上初の出塁率6割を突破。4年連続して、壮絶な成績を残したボンズの勢いは05年、膝の故障で衰えたが、それでも、彼がいい選手である事は間違いない。
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●歴史
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188cm103kg、左投左打。左翼手。40歳。
父親:ボビー・ボンズも名選手で、2003年没。30−30を5度達成。これはボンズ親子共に同数で史上最多。キャリアの初めの方はサンフランシスコで息子バリーの若い頃とと似た成績を辿るが、息子に唯一選球眼で大きく劣り、超一流にはなり切れなかった。332本塁打、461盗塁は見事の一言。ボンズの良き相談相手だった。家系別通算記録は、本塁打、盗塁などで、ボンズ一家が圧倒的な1位である。
アメリカ、カリフォルニア州出身。父ボビー・ボンズの移籍と共に、サンフランシスコに移り住む。クラブハウスに息子や娘を連れてくる選手が多い、と言う事はMLBでは常識だが、ボンズも、クラブハウスを遊び場に育った選手の1人である。そのため、早くから野球に馴染み、高校3年生時には打率.467を残し、オールアメリカチームに選出される。82年には、サンフランシスコ・ジャイアンツに2位指名されるが、拒否。野球の名門アリゾナ大に進んだ。そこでも、見事な成績を収め、3年生ではカレッジのオールアメリカチームに選ばれた。1985年、全体6位、ドラフト1順目でパイレーツに入団。
86年、5月30日にメジャー昇格したバリー・ボンズは、16本、36盗塁を記録。打率こそ伸び悩み、102三振を喫したが、これが、彼のキャリア唯一の100三振となった。87年、レギュラーとして開幕を迎え、これも5月30日に、中堅から、現在の左翼にコンバートされる。しかし、89年までは、はっきり伸び悩んだ。
しかし、90年に素質開花。長打率1位、史上2人目の「30−50」を記録し、初のMVP。ゴールドグラブも受賞した。翌91年は、四球、出塁率で1位になるなど、彼らしさを随所に発揮するが、MVP投票では、テリー・ペンデルトンに次いで、惜しくも2位。成績としては、ボンズのほうがはるかに凌いでいただけに、98年ごろは、もし、この年にMVPを達成していたら、史上初の4度のMVP、しかもそれを、4年連続で決めていたのに、と、言われる事もあった。そんな話をしていた頃は、まさかバリー・ボンズが、再びそのチャンスを得て、しかもそれをモノにするとは想像だにしなかったのだ。
92年には、再び「30−30」を記録し、四球、出塁率、長打率1位となり、2度目のMVP、チームを地区優勝へと導く原動力になる。そして、この年、FA権を取得したボンズは、長らく憧れていたサンフランシスコへの移籍を決意した。
翌93年、ボンズは、マット・ウィリアムズ('96までSFに在籍)と組んで、キャリアハイの成績を収めて、初の主要タイトルとなる、打点、本塁打の2冠を取得し、史上7人目、史上最多タイの3度目のMVPを受賞した。
その後も、ボンズは、主砲として、中距離砲として、常時「30−30」クラスの優秀な成績を残し続けるのだが、まわりがパワーを増強させ、次第に忘れ去られた存在となっていった。97年は、マット・ウィリアムズとのトレードで、後に「犬猿の仲だが最高のコンビ」と言われる片割れジェフ・ケントが加入したが、当時は2人ともそれほどインパクトは無かった。98年は、マグワイアとソーサの争いに置いてきぼりにされ、シルバースラッガーからも弾かれてしまった。史上初の「400−400」を残したのも記憶に残らず。成績では、相変わらず文句なしの素晴らしい成績だったのだが…。
99年は、膝の古傷の悪化、手首の故障と満身創痍で、この怪我で、30盗塁する能力を失い、ボンズも落ち目、と断言されるようになった。しかし、当時は気付かなかったが、そんな中で、本塁打率が大幅にアップするなど、爆発の予感も、ないではなかったかもしれない。
ボンズの爆発は、00年にやって来る。何と、36歳にして自己最多の49発を放ち、本塁打王こそ鼻差でソーサに振り切られたものの、シルバースラッガー投票では、外野手部門のトップに立った。MVPは同僚ジェフ・ケントに攫われるものの「90年代最高の選手の1人」、古豪の面目躍如を果たした。もう1人の90年代最高の選手、と言われたグリフィーがこの年から不振に陥ったのは対照的だ。年齢的にも、衰えるのはボンズであって、グリフィーではないと思われていたはずで、このあたりは実に面白い。しかし、爆発はこれに留まらなかった。
翌01年、突如、ボンズの全盛期はやって来る。2番オリリア、4番ケントという援護砲にも恵まれ、何と、自己最多の73発という驚異的な打棒を発揮。四球、本塁打、長打率の3部門でメジャー記録を達成。史上最多の4度目のMVPに輝く。以後は、打順の変更で4番になり、03年のケントの移籍にも悩まされるなど、敬遠が激増していくが、02年には出塁率、四球、敬遠四球などで新記録、自身初の首位打者、03年は「500−500」、04年はOPS、出塁率、四球などで新記録。MVPは7度に伸ばした。ただ、05年は怪我で沈黙してしまった。
キャリアに汚点があるとすれば、ステロイド疑惑と、未だにチャンピオンリングがないこと。残されたチャンスは、それほど多くない。
名付け親:ウィリー・メイズ
通算660本塁打を放った強打者ながら、強肩俊足。中堅手としてサンフランシスコを支えた大選手でありながら、300盗塁を決めた万能外野手。ボンズが目指す選手だった。「5ツール・プレイヤー」の代名詞で、史上最高の選手との呼び声もある。
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●記録(01年)
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ボンズが本塁打の世界記録を更新したことで有名な年である。しかし、その他も記録ラッシュとなった年で、73本の本塁打数世界記録に加え、長打率の世界記録を81年ぶりに塗り替える.863を残した。
さらに「6.52打席に1本」は従来のマグワイアの「7.27打席に1本」を軽く凌駕した壮絶な記録。
ボンズの所属するジャイアンツの本拠地・パシフィックベル・パークは「01年、メジャーで最もホームランが出にくかった球場」である。これだけホームランをかっ飛ばすボンズがいても1番ホームラン数が出にくい辺り、他の球場とは一線を画している事が分かる。ここから見ても、いかにボンズが凄いか分かる。もしボンズが打者有利の球場にいたら、測らく90本打っていただろう。
一見すると打席数が少ないように見えるが、177四球と言う壮絶なメジャー新(当時)の四球数がモノを言っているだけ。凄まじい記録である。
また、出塁率.515は歴代3位の記録であった。そして、長距離打者の価値を示す数値として知られるOPS(長打率+出塁率)は1.378と史上最高(当時)の値となった。何故「当時」なのかは…きっとすぐ分かるだろう。
通算MVP数4個、メジャー新記録(当時)となるMVPに選出されたのは当然だろう。
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●記録(02年)
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本塁打数こそ大幅に落としたが、負けず劣らず記録ラッシュだったのがこの年である。
まず、打率.370と言う驚異的な数値で自身初の首位打者を獲得。38歳での首位打者は、首位打者の最高齢記録であった。
また、自身の持つ世界記録(01年、177個)を塗り替える198四球という壮絶な記録で出塁率.582。2位以下を1割5分近く引き離してのメジャー新記録達成にはもはや感嘆の声をあげるより無い。しかも三振はたったの47。何かが間違っているとしか思えない。
長打率は.799と6分ほど減ったが、これで本当に減ったのかと突っ込みたくなるレベル。何と言っても2位(ブライアン・ジャイルス(パイレーツ).622)と1割をはるかに超える差があった。そして、OPSは1.381と自身の持つ1.378を塗り替え史上最高の値となった。
そして、ジェフ・ケントらが一応のライバルとはなったものの楽に2年連続となるMVPを獲得。00年のケントと合わせてジャイアンツ勢が3年連続でMVPを独占する事となった。そして、5回のMVP獲得は自身の持つ4回を塗り替えて史上初。
これだけの成績を残せば敬遠されまくるのは至極当然。見ての通り打席数は激減しており、敬遠数はこれも世界記録で68個。まさに2年連続で記録ラッシュとなった。
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●記録(03年)
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03年は父ボビー・ボンズの体調不良で「冗談を言われても笑えない。家に帰っても落ち着かない」と言う最悪の状況に陥った。元々父親思いで知られるボンズだけに、これはかなりこたえたようで、4月、5月は打率2割台で本塁打も伸びず、自慢の選球眼もやや雑と言う不調。加えて、そのボビー・ボンズのガンによる死。忌引者リスト入りまでした。それでも復帰してから悲しみを振り払って成績を上昇させる。終わってみれば打率・本塁打共に両リーグ3位。打点は51位と苦しんだが、それは後ろを打つ打者がグリッソムでは仕方が無いだろう。
もちろん、成績としては過去2年と比べると若干見劣りがするものの、通算成績で大記録を達成した年となった。本塁打数歴代4位に上昇したり、前代未聞の大記録、500本−500盗塁を達成したり、通算4人目の2000四球を達成したり、史上2人目の12年連続30本を達成したりと、まだまだ記録に底がない事を見せ付けている。
また、出塁率.529をマークし、自身の持つ記録を塗り替える史上初の「3年連続出塁率5割」と言う壮絶な大記録を達成。出塁率5割をマークした人なんてほとんどいないのに、彼の3年連続はまさに前代未聞。長打率は若干落としたがそれでも.749で圧倒的1位。OPSは1.278と大きく落としたが、それでも2位(プホルズ)に0.172の差を付けて圧倒的1位。走力まで考慮に入れた打者の価値を示す値として知られるRC27は15.11と、2位のプホルズの10.79を大幅に上回り独壇場となった。
タイトルこそ無しだったが、父ボビー・ボンズの看病や死で、忌引者リスト入りするなど130試合の出場に留まった事を考えれば当然。打点が減るのはケントがいなくなったからには当たり前。本塁打45本は、むしろトーミーでなく彼にタイトルをあげたいくらいだ。何と言っても、彼の8.7打席に1本と言う数字は3位トーミー、2位エドモンズらが12.3、11.5だった事を考えても圧倒的だ。四球は148と激減したが、それでも断然リーグトップ。敬遠数は61。両リーグ通じて2位のマニー・ラミレスは28。まさに圧倒的である。
ナ・リーグMVPはバリー・ボンズかアルバート・プホルズかは議論対象になったが、打撃3部門を見ればプホルズにも見えるが、バリー・ボンズが上である事は誰の目にも明らかだった。彼の場合最も本塁打の出にくいパシフィックベル・パーク('04にPBCパークと改名)で、しかも前の打者も後ろも2割8〜9分、本塁打20本程度がやっと。プホルズは前が39本のジム・エドモンズ。後ろも28本のクラッチヒッター、スコット・ローレン。打席条件、マークの集中度、球場の条件がまるで違う。しかも脚力と守備と出塁率は大きくボンズが上。強打者の価値を示すOPS(出塁率+長打率)を見てみてもボンズがプホルズを.150くらい上回っていた。唯一、出場試合数で劣るが、それはポストシーズンにチームを導いたボンズと出来なかったプホルズとでは大きな減点対象にはならないだろう。そして、結局、3年連続6度目(いずれも自身の持つ記録を塗り替える新記録)となるMVPを獲得した。
ただ、ポストシーズンでは苦渋を飲む。4試合でまさかの8四球。これは5試合までもつれこんだシリーズを含めても、ディビジョン・シリーズ史上最多。最も印象に残ったのは第4戦(最終戦)、1点差、8回2死無走者での敬遠。勝負をしてもらえないのではいかにボンズでもやりようがなく、史上最強の打者はまたも苦渋を飲んだ。
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●記録(04年)
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01年から驚異的な成績を残し続けているバリー・ボンズだが、この年は、彼のキャリアハイといっていいシーズンだった。本塁打数は45本と、02年、03年並みを維持したが、打率.362で首位打者を獲得。40歳での首位打者は、自身の持つ38歳を更新する新記録。さらに、MVPも受賞し、通算7度目、4年連続MVP受賞は、いずれも自身の持つ記録を塗り替えての最多。さらに、40歳での受賞は、MVP最高年齢記録である。
しかし、それ以上に四球の数が凄い。232四球は、彼の持つ自己新記録の198個を超え、メジャー新記録。さらに、あっさりリッキー・ヘンダーソンの通算四球記録を塗り替え、通算四球2302個として、通算トップに立った。
さらに、出塁率.609という驚異的な記録を樹立。自身初めて6割を突破し、当然のごとくメジャー記録を作った。さらに、敬遠数は夏場に既にMLB記録に到達。自身の持つ68個を大幅に塗り替えての120敬遠で、あっさりと大記録達成となった。敬遠は、ベーブ・ルースの時代には計測されていなかったという記録ではあるが、いかにルースとは言え、120個の敬遠を浴びたと言う可能性は限りなく0に近い。
OPSは1.421。これも自身の持つ1.382を塗り替えての新記録。13年連続30本塁打も楽々クリア。自身初めて三振数を本塁打数が上回った。
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●記録(通算)
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03年史上初の500−500(500本500盗塁)を達成しており、中距離打者としての記録もズバ抜けている。
メジャー史上たった3人しかいない40−40を1度、30−50を1度など、「3・3・3」、3割30本30盗塁を5度はダントツでメジャー最多回数。「30−30」5度は、父親と同じで、2人目。
通算本塁打数は3位。
また、ゴールデングラブ賞8度は外野手部門通算2位。
シルバースラッガー賞12度は外野手部門通算1位。
何から何まで記録ラッシュな男である。
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●打撃力
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素晴らしく我慢の効く打者で、スウィングは実に滑らかである。スウィングはアッパースウィングだが、非常に独特。パワーの伝え方に無駄が無く、人間の可動領域をインパクトの瞬間にフルに使っている。「トリガーを引く」要するに、テイクバックでのシフトウェートをきちんと行っている上、フォロースルーをかなり取れるフォームになっているので、球とバットの接触時間が長くなり、結果ボールに伝えられる力積が大きい。
しかし、それ以上に恐怖なのがコンパクトさも兼ね備えている事。理由はいくつかあるが、1つはスウィングに極めて無駄が無い事。テイクバックをきちんと取るが、その割には頭がほとんど動かない。それが圧倒的な選球眼の礎となっている。しかし、それ以上に大きいのがスウィングスピード。実際、ボンズのスウィングはシフトウェートが大きくは無いが、小さいわけではない。それでも、それがメジャーで随一との声が高く、実際、160km/h近くを記録している程の凄まじさの為、コンパクトに見える。始動が極めて速く、その為、球や球種の見極めも良い。速球にも変化球にも非常に上手く対応する。年齢の割に眼にも衰えが見れず、選球眼も素晴らしく良くメジャー随一。バットがアベレージヒッター用のタイ・カッブ型と言うのも三振が少ない理由の1つだ。
その集大成が、02年の41三振、史上最多の232四球と言う結果な訳だ。ただし、勿論、ここまで四球が多いのは歩かされる事が多いからでもある。ヤンキースなどでプレーしたと仮定すれば、130四球、70三振くらいが適性評価か。ただし、本塁打は最悪1.5倍程度までは増えるはずで、3冠王も夢ではなくなるのだが。逃げられる事が多いことで、ストライクには積極的に手を出す。しかし、ボール球には手を出さない。これは、当たり前のようでいて、最も難しいことだ。
このように、ボンズ最大の強点は、自制心の強さ。あれだけ歩かされておいても際どい球に手を出さないのは流石である。ジャイアンツは彼1人が飛びぬけている打線なのでしばしば歩かされるが、それでもボール球には手を出さず辛抱強く待ち続けるのは普通の打者では出来る事ではない。
引っ張りを得意とする。パワーがあるのでパシフィックベル・パークの広い右中間にも本塁打を数多く打ち込んでいる。勿論、餌食になる事もしばしばだが、アッパースウィングである事に加え、パワーがあるので、フェンスを越す事はそれほど難しくない。最近は狭いライト線にも良く出ている。流し打ちもやる事は少ないがかなりの技術で、攻めが外角一辺倒が多い近年は、二塁打をこちらに打つ事も多い。
極端なプルヒッターだった事で、やや左投手を苦手にする事が多いが、齢を重ねるにつれ、左投手も克服し、ますます死角は消えていっている。特に「この球種に弱い」と言う球種もなく、アッパースウィングにありがちな高目の球への対応度の甘さも見えない。低めも上手く打つ(何と言ってもこの選手にはアウトローだろうとスタンドに叩き込むパワーがある)。全く大崩れする要素の見えない打者だ。ほとんどゴロを打たないので、中軸としては併殺が少ないのも良い感じだ。
188cmと特に大柄なわけではないのだが、とにかくそのパワーは凄すぎる。MLBでも5本の指には充分に入る。松井が子供に見えてしまうほどで、どんなに広いスタンドだろうとその上を嘲笑うかのように消えていく。
苦手なタイプ、と言う投手は特に無いが、クセ球の選手や技巧派寄りのタイプにやや弱いようだが…。何と言っても「ボンズに強い」だけで就職先が見つかる時代であるほど苦手投手が少ないタイプだ。上原浩司に完璧に抑えられた事は記憶に新しいが、ボンズのスウィングを考えれば慣れれば打てるはず。
打点は少ないが、特別勝負弱いわけではない。得点圏では単打狙いに転じる事もある打者である。得点圏で半分以上は歩かされているうえ、歩かせても良い、と言うピッチングをしてくる投手が多く、多少の長打率ダウンは仕方ないところだし、打点の稼ぎようが無い。その為、彼が三冠王を獲る確率は、5番打者不在のままでは0に近い。
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●走力・守備力
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一見してパワーだけの選手に見られるボンズだが、実は守備も足もある万能型選手で、かつて日米野球やオールスターでで1番を打っていたほど。元々は中距離打者だった選手。
万能選手の証である「30本、30盗塁、100打点」を5回、超万能選手の証である「3割、30本、30盗塁、100打点」を3回記録。これはメジャー唯一の複数回達成者だ(しかも3回)。さらに「3割、30本、50盗塁、110打点」「3割、40本、40盗塁、120打点」まで記録。前者は殆ど類を見ない記録で、後者もアレックス・ロドリゲス、ホゼ・カンセコとボンズだけの記録。これらはしかも全て最多回数を誇っている。父親のボビー・ボンズも5回の30−30を記録している名選手で、家系と言えるかもしれない。
近年は36歳にして中距離打者から長距離打者へとあくなき進化を遂げ、40歳の今でもNo.1の座についているが、さすがにその万能性は多少鳴りを潜め、02年は盗塁数が初めて2桁を割ったが、そもそも歳を取れば盗塁することは怪我にも繋がるので、いい時期で進化を遂げたと言える。ちなみに、ボンズが走れなくなったのは、筋肉を付けすぎたからという説があるようだが、実際には、膝の怪我で走力が落ち、積極的に走る事もなくなった、という理由も大きいかもしれない。
クレバーな走塁には今でも定評があり、スウィングがコンパクトな割に一塁までのタイムは平凡だが、一塁から三塁への走塁は判断も良く、タイムもいまだハイレベル。盗塁においてもモーションを盗むのが上手く、成功率は未だ高い。その為、重要な場面で盗塁をしばしば決めてくる。
03年6月24日にメジャー史上初となる600本500盗塁という壮絶な記録を達成した。ただ、今後、盗塁数が2桁に達する事は無いだろう。
守備力に関しては、流石は過去8度(外野手史上2位)のゴールデングラブ受賞者と言うレベルは維持している。99年に怪我をして以来、守備範囲が狭くなっているが、送球の正確さ、判断の良さと言ったところでこの選手の守備の価値が見れる。多少衰えは見られるが依然としてひどくは無いレベルを維持していたが、膝の怪我がさらにひどくなり、そろそろ限界も見えつつある。マニー・ラミレスのように、守備で負担になる事はない、というのは、ありがたいポイントである。
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●総評・今期成績
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膝の故障次第だが、MLB史に残る好選手である事は間違いない。
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